セヌリエは、120年以上の歴史を持つフランスの老舗画材店です。フランスでは、高級画材店として知られ、非常に高品質の画材を提供しているブランドです。
著名な画家が好んで愛用し、多くの作品が残されています。
セヌリエでは、パステルの他にも水彩絵の具や紙なども製造しており、どれも高品質で、絵を描いている人なら、一度は使ってみたいと憧れる画材メーカーです。
ギュスタブ・セヌリエによって始まった、セヌリエの歴史
”セヌリエ”ブランドの始まりは1887年。
化学者であるギュスタブ・セヌリエが、ルーブル美術館向かいのセーヌ川左岸に「
マガジン・セヌリエ」という画材店を創立しました。

(上段)
中央:創業者ギュスタブ、右:アンリの兄チャールズ(下段)左:2代目アンリ 中央:3代目ドミニク 右:4代目ソフィエ |
当時すでに化学者ギュスタブ・セヌリエの絵具創りは、伝説化していたと言います。
彼の仕事はとても細心で色を見る目が正確でした。色素の混合方法や安定性など、絵具に関する徹底的な研究によって生まれたその品質は、「芸術的」とうたわれた程で、新しい表現方法を模索していた芸術家たちから、最高の品質と認められ、圧倒的な支持を受けたのです。
セヌリエのお店では、顔料の改良に努め、更に色味や劣化の改良の為、新しい装置の開発にも努力しました。
創立者ギュスタブ・セヌリエが初めて作った絵具は、何世紀もの間作られていた手法と同じく、手で製造されていました。
1900年に、手と同じ圧力を加えられる3本の磁器のロールを使用して機械化され、手造り同様かつ効率的に製造される様になりました。
セヌリエと印象派のアーティスト達
20世紀の初め、ギュスタブ・セヌリエと印象派の偉大なアーティスト達の関係は深いものでした。
印象派のアーティスト達の影響でセヌリエの商品が広まりました。セザンヌ、ピサロ、ボナード、ピカソなど著名な画家によって使われた色は、ギュスタブ・セヌリエによって製作された色でした。

多くのアーティストに愛用され続けているセヌリエの画材 |
セヌリエはこれまで使われなかった無機鉱物の色素を使って、印象派のアーティスト達にそれまで不可能だった色を可能にしました。これらの色は自然なアースカラーを完成させ、色褪せたり、有毒な成分も含まれる高価で半貴石から成るそれまでの絵具の代わりとなりました。
これらの色は、印象派のアーティスト達の混色による色の可能性を広げ、とりわけ、セザンヌやモネなどにとっては、“セヌリエ”はなくてはならない存在となりました。軽く滑らかで光沢感のある絵具の出現で、太陽の光、その光を浴びてきらめく自然の風景を絵に表すことに成功したからです。
以来“セヌリエ”で描かれた名画は、世界有数の美術館に展示されています。
マガジン・セヌリエは、多くのアーティストが集まる場所でした。彼らはここで語らい、日々の情報交換などにより、インスピレーションや色に関する欲求は“セヌリエ”の絵具に取り入れられ、新しい技術や独特の色が誕生しました。
エクストラファイン・オイルペイント(油彩)の質と色彩の幅を極めた後に創り出されたエクストラファイン・ウオーターカラー(水彩)には、印象派の色彩の美学が基盤となっています。
エクストラファイン・オイルペイント、エクストラファイン・ウオーターカラー、そして
エクストラソフトパステルに続いて“セヌリエ”の
オイルパステルが誕生したのは、パブロ・ピカソの依頼がきっかけでした。「どんな素材にも自由に表現したい」という彼の熱い要望と協力で、画期的なオイルパステルが完成しました。
今も変わらぬマガジン・セヌリエ

変わらぬ場所で伝統を守るマガジン・セヌリエ |
現在、
セヌリエの工場は、事業拡大の為、サンブリュー(ブルターニュ地方)に移りましたが、
マガジン・セヌリエは現在も変わらない場所で、その伝統を守っています。
つねに芸術家の創作欲を喚起させ、尽きることのない彼らの要望を取り入れて芸術を生み出してきた”セヌリエ”。
最高品質を必要とする現在と将来の画家のために、研究・努力を日々重ねています。
現代技術を取り入れながらも今だ手作りにこだわる情熱こそ、セヌリエの原点です。